暴れゴリラ2忍法帖

現役女子高生未亡人が日々を綴ります

日本教育の歪みって知ってますか?

こんにちは。

現役女子高生の突撃類人猿と申します。

 

突然ですが皆さん、日本教育の歪みってご存知ですか?

日本教育の歪みとは、エーミールです。

 

昨日のブログで、私が「少年の日の思い出」という作品のエーミールというキャラクターの熱烈なファンボーイであることを1210字使って語らせていただきました。

断罪者って知ってますか? - 暴れゴリラ忍法帖

ブログで名乗るハンドルネームも、今使っている「突撃類人猿」にするか「ゴリラエーミール」にするか悩んだくらいです。

 

エーミールについて簡単におさらいすると、コレクションを盗もうとした友人に「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」という殺し文句を放ち、コレクター生命を絶たせた、<秩序・中立>の権化みたいな少年です。

私は少年のころ、このクールな断罪者っぷりに骨抜きになってしまい、その愛は大人になった今も国内最大のエーミールファンサイトとしてこのブログを立ち上げるほどです。

 

私がエーミールを知ったのは中学生のときの国語の授業ですが、このときの授業で私の人格は決定されたと思っています。

エーミールとの出会いは私の暗い青春に注ぐ一条の光でした。

しかし、エーミールと出会ったときの授業は、美しい思い出であると同時に、日本教育の歪みを痛感した思い出でもあります。

 

このご時世、体制に対する批判を発信したら秘密警察にしょっ引かれてしまうかもしれません。

ですが、このブログは3人程度しか読者がいないので多分大丈夫でしょう…

 

私が「少年の日の思い出」を授業で習ったとき、学校の先生はこんな問いかけをしました。

「主人公はどう行動するべきだったと思いますか?また、エーミールはどう行動するべきだったと思いますか?」

窃盗+器物破損の下手人である主人公の行いに再考の必要があるのは当然ですが、エーミールまで同じテーブルに乗せられてるのっておかしくないですか?

確かにエーミールはいけ好かない奴だという描写はされていますが、性格は悪いけど品行方正なエーミールと、少年犯罪者である主人公を同列に語るのは完全におかしいと思います。

 

ただの被害者であるエーミールが悪しざまに言われるだけでも納得できないのに、クラスの意見は主人公に同情的でした。

「エーミールは貧乏な主人公にもっと気を遣うべきだった」

「主人公の羨望を刺激したエーミールにも非はある」

こういった意見が大半を占めていた記憶があります。

国語の先生もこれらの意見を聞いて「想定通りの答えだ、優等生たちよ」みたいな顔をしていました。

 

私はこれがどうしても納得いかなかったのを強く覚えています。

だってエーミールは性格は悪いけど、行いは悪くないですから。

クラスの意見は、「嫌な奴相手には何やってもいい」と言っているようにしか聞こえなかったのです。

ですから、私はそのように主張しました。

しかし、私の意見は先生に「もっと人の気持ちを考えたほうがいい」と足蹴にされてしまいました。

 

確かに、人の気持ちを考えることは美徳ですし、性格の悪い人間は損をします。

そういう意味での人生の教訓としては正しい指摘だと今は思いますが、当時の私にとっては人格批判以外の何物でもありませんでした。

この思い出があるからこそ、私は今なおエーミールのクールさを語るときはオタク特有の早口を披露してしまうのです。

 

なお、中学生当時の私は教師の意見にぐぬぬ…」となるだけの雑魚でしたが、今はエーミールを見習って断罪者として研鑽を積んでいます。

もしも願いが叶うなら、このときの授業に戻って、先生に同じ意見を言って、先生に同じ指導をされたらこう言おうと思ってます。

そうか、そうか、つまり先生はそんなやつなんだな。