昇降運動って知ってますか?
こんにちは。
現役女子高生の突撃類人猿と申します。
突然ですが皆さん、昇降運動ってご存知ですか?
昇降運動とは、私の青春です。
みなさんは高校生のとき、どのような青春を過ごしましたでしょうか?
部活に明け暮れた人、甘酸っぱい恋愛をした人、友達と友情をはぐくんだ人、バイトでお金を稼いだ人、どれも素敵で輝かしい青春です。
青春に貴賤は無く、すべての青春が素晴らしいものなのです。
ですから、私の友達のいない高校生活も輝かしく誇らしい青春なのです。
友達がいない高校生活にとって、一番の鬼門となるのが休み時間です。
これはクラスの日陰を担当した人ならあるあるな話だと思うのですが、友達がいないと休み時間ってめちゃくちゃ暇なんですよ。
大人になったら、自伝に「退屈とは最高の拷問である」ってフレーズだけは絶対に書く!と心に誓ったくらいに暇でした。
私にとって、高校生活は退屈との闘いだったわけです。
この話を大学以降にできた友人に話すと「休み時間に暇ならば、本を読んだり寝たりすればいいじゃない」と言われることが多いです。
しかし、これはハッキリ言ってズブの素人丸出しの意見。
そんな、漫画に出てくる「周りの程度が低くて馴染めないヤレヤレ系主人公」みたいな鼻につく演出をすれば、クラス内で最低カーストに放り込まれるのは容易に想像できます。
ですから、私が取ったクレバーな選択は「教室から席を外す」です。
教室にいなければ、株が下がる心配もないってわけです。
今思えば、教室にいないのに友達ができるわけないのですが、当時の私にとってはこれこそが唯一の道でした。
そうして、教室から飛び出せ青春した私ですが、教室から出たところで何か面白いことがあるわけではありません。
ですが、私には特技がありました。
それは、アニメと現実を混同することです。
当時、私は「涼宮ハルヒの憂鬱」にどっぷりハマっていました。
涼宮ハルヒは「面白いことがないならば、自分で探しに行く」というスタンスで生活していたので、アニメからラーニングする習性を持っている私もそのスタンスに倣うのは当然。
私の休み時間は、面白いことを探しに行く時間になりました。
まぁ、わざわざ探さなくても教室で友達を作ってお喋りすれば十分面白かっただろうと今なら思いますが、当時の私はおバカなチルチルだったのでそれには気づけませんでした。
「面白いことを探す」、口で言うのは簡単ですが、あまりにも具体性に欠ける指針すぎます。
「とにかく頑張ろう!」って方針と大差ありません。
ですから、私は何をしていいのかわからず、とにかく階段を昇ったり降りたりすることにしました。
階段は毎日同じ姿でいるように見えて、毎日変化しています。
クモの巣が張られていたり、落とし物があったり、季節によっては落ち葉があったり。
私は階段の日々の変化を観察し、楽しみます。
高校生活3年間でこの遊びを続けることで、私は学校で最も階段に詳しい男となり、各階段の掃除担当クラスや、掃除当番ごとの掃除熱心度まで把握するに至りました。
「来週は掃除熱心な班が掃除当番だから階段がキレイになるぞ…!」みたいな楽しみを高校生活に見出していたのは、私くらいだと思います。
そうして階段を昇ったり降りたりしているうちに、気が付いたら私は高校を卒業し、大学に進学していました。
その後、大学では少ないながらも友達ができたりして、階段への偏執はすっかりナリを潜めたのですが、私はこの思い出を意外なところで思い出すことになります。
私が大学2年生に進級したとき、新入生に急に声をかけられました。
「○○高校の××先輩ですよね!?」
確かにその通りなのですが、私はその新入生の顔に見覚えが一切ありません。
ですから、なんで私を知っているのか聞いてみました
「いつも階段昇降運動してた××先輩でしょ!学校中で有名でしたよ!」
なんと、私はクラスで悪目立ちするのを避けた結果、全校レベルで悪目立ちしていたようです。
しかも、昇降運動の××という二つ名までつけられて。
二つ名を持ってる高校生って、不良漫画以外で見たことあります?
自分が全校レベルの有名人なんていうファンタジーなポジションに上り詰めていたのに、それを一切知らなかったのは、教えてくれる友達がいなかったからでしょう。
やはり、友達は大事です。
ですが、私の昇降運動に捧げた青春も、それはそれで悪いものではありませんでした。
階段を昇ったり降りたりしながら、私は人生についていろいろなことを考えましたし、季節の移り変わりを肌で感じることもできました。
みなさんも、お友達にこの記事を教えてあげて、暗い青春から一転、二つ名持ちの高校生にクラスチェンジしてみるのも悪くありませんよ。