瞬瞬必生!「仮面ライダージオウ Over Quartzer」
昨日もジオウの映画について語りましたが、懲りずに今日も語りたいと思います。
だって「ライダーと板が戦ってた」なんていうブログ向けサッパリ感想だけじゃ収まらないんですよ、愛が。
愛が足りないぜ(うた.光吉猛修)なんですよ。
そういうわけで、今日の感想はこの映画のテーマ「瞬瞬必生」について語りたいと思います。
今回の敵であるクオーツァーは「平成ライダーって設定もバラバラだし矛盾しまくりじゃない?平成という時代の醜さを象徴しているようだ。だから平成を消す。」という論点すり替えまくり、主語大きくしまくりで詭弁丸出しな主張で襲い掛かってきました。
平成を消す方法もムチャクチャで、令和元年の地球を平成元年の地球にぶつけるというそれで平成消える訳なくない?としか言いようのないダイナミック理論を基にしたものでした。
「平成が醜い」って理由で地球ぶっ壊されたら、元号とか関係ない外国人の方にとってはたまったもんじゃないですよね。
そんな平成醜い理論に対する主人公のアンサーが「みんな瞬間瞬間を必死に生きた結果が平成という時代なんだから、それを醜いとか言うな!」です。
略して瞬瞬必生。
それを言われるともう何も言い返せないっていう名演説だったと思います。
ですから、
・序盤のタイムスリップ展開が本筋に関係なかったり
・パパイヤ鈴木が雑木林から生えてきたり
・パパイヤ鈴木が「仮面ライダーゾンジズ」という痰が絡んだような濁点だらけの名前のライダーに変身したり
・過去から連れてきた忍者が本編終了後も帰ってなかったり
・死んだり消滅したりしてたはずの仲間たちが何の説明もなく復活したり
平成ライダー映画らしいクソ雑展開が目白押しでも、それは瞬瞬必生の結果だから笑ってはいけないんです。
ライダー映画ってエンタメ性を優先するあまりいつも話の筋が通ってないのですが、今回は瞬瞬必生のおかげでなんとなくちゃんと締まった空気になっていたので、瞬瞬必生はやはり偉大な言葉です。
劇場で見たときは瞬瞬必生とか言い始めたら最早何でもアリになっちゃうだろ…と思いましたが、改めて思い返すと深い言葉な気がしてきました。
私も今際の際に「瞬瞬必生な人生だったなぁ」と思い返せるよう、日々を一生懸命に生きるようにしようと思います。