今日はYくんの友人氏のために書きます。
- 今日はYくんの友人氏のために書きます。
- 大学時代の友人Yくんと一緒に、久しぶりに恩師に会ってきました。
- Yくんは私が休職した瞬間に爆速で「暇なら大学に遊びに行こうぜ」と連絡してきたのでストーキング系の人なのかと思いましたが、どうやらYくんの友人氏(私は知らない人)がこのブログを読んでいて、私が休職したことをYくんに伝えたとのこと。
- 存在したのか…このブログの読者…
- UMAかと思われていたブログ読者の実在が確認されて非常に嬉しかったです。このブログは私の核(コア)をさらけ出して書いてますから、それが認められるのは自分の全てが肯定される気分です。
- イエーイ!友人氏!見てるー?
- 常にコアを露出してるって、シューティングゲームの1面に出てくる弱いボスみたいですね。
- Yくんは活発で行動力に溢れた性格をしており、社会ナメ左衛門の私とは対照的な人物です。メンタル案件で休職している私とはこれまた対照的に、キャリアアップのための転職をするため、前職との合間の休暇なんだとか。
- 対照的な私たちが同じ時期に似たような境遇になっているのはなんだか運命的なものを感じます。
- Yくんはちゃんとしているので、出会い頭に「人生に目標がないお前は何も掴み取ることはできない」とか言ってきました。私にもちゃんと「SOS団に入る」っていう10年来の目標はあるんですけれどね。
- 社会にSOS団が存在しないほうが悪い。
- 実際のところ、私は人生の目標みたいなのはなくて、日々を愉快に生きたいという欲望だけがあります。また、基本的に社会は不愉快であるため、自分ひとりくらいは愉快でありたい、という願いも持っています。
- ただ、この愉快願望は基本的に仕事とは相容れないという諦観もあるため、自分が愉快である代償としてのたうち回りながら社会生活を送らねばならない、という脅迫観念みたいなものもあります。満ち足りた人生を送っている人間に、こんな政治犯の獄中声明みたいなブログは書けないでしょう。私は人生のいかなる時でもこのブログで発揮している類のユーモアを持っていたいと思っているのです。
- そのため、私はユーモアで飯を食っている人をとても尊敬しています。私ができなかった「愉快さと社会性の両立」という針の穴のように細い可能性を掴み取った人たちですから。具体的には、愛読しているオモコロの編集者の方などがそれにあたります。
- Yくんは私のことを「無能なクルル曹長」と称しています。コメディリリーフに徹するにはそれに見合った才覚が必要だという話ですね。沁みます。
- 以上、旧友と会ってちょっぴりセンチな気分になった私の独り言でした。
- ワムウに怒られますね。
- ちなみに、人生の目標はないんですけれど、ざまーみろ!と叫びながら爆死したい、という願望はあります。
- 爆死から逆算して人生送らないとな…
- 久しぶりに会った恩師はメンタルがアレした私のことを心配してくれ、別れ際に「あなたのこれからの人生に幸多からんことを」という言葉をかけてくれました。
- かける言葉が見当たらなくて先生に牧師みたいなことを言わせてしまった…!
- 先生の現役の弟子たち(つまり学生のみなさま)ともいろいろ話をしました。みんな私とYくんの対照的な社会観を神妙な顔して聞いていましたが、私の話は社会不適合者の断末魔みたいなものなので参考にしなくてよろしい。
- 帰りの電車で「目をつぶって他の乗客の会話を盗み聞き、その人の容姿を想像する」という性格の悪い遊びをしました。
- 性格が悪い。