暴れゴリラ2忍法帖

現役女子高生未亡人が日々を綴ります

無限懺悔ハイスクール

私には不思議なジンクスがあります。
それは義務教育の2年目のときに、必ず不幸が起きるというものです。
今日は一生分の反省文を書いたといっても過言でない高校2年生のときの話をします。

私の高校生時代は、「陰の者」として表舞台に決して出ることなく、電柱脇の大便のような生活を慎ましく送っていました。
高校2年生の秋、クラスでは文化祭の出し物について担当を決める学級会が行われました。

「陰の者」である私は、小道具か大道具かで悩みましたが、桃の天然水のごとく薄い桃色の自尊心により「大道具」を選択しました。
小道具に対してマウントを取りたかったのです。

大道具は舞台演出のための背景などを木材・模造紙などで作り、主役たちが舞台でより煌めくために命をかける必要があります。
ちなみに、主役の失敗は大道具の失敗、大道具の失敗は小道具の失敗、と私の中でヒエラルキーが定まっています。

文化祭前日の放課後、私を含む大道具チームは、教室の隅っこで木材を切り出し舞台装置の制作に最終段階にとりかかっていました。
作業を進めるに従い、木片は散らかり画びょうは危険な方向で床に転がり、気づくと大量の釘が私の目の前に散乱していました。

私は手にした金づちで横たわった釘の頭を叩いてみました。
すると、加えた力から想像できないほど頭が床にめり込んだのです。
私は楽しくなり、1本、2本と釘を叩いていきます。

いつの間にか、大道具チームから数人が釘叩きに参加しています。
皆幸福そうな顔をしていました。
普段から抑圧された学園生活を過ごしていた彼らは、釘を叩くことに自己肯定感を得たようです。

私は周りの景色が見えなくなるほど没入していました。

「釘を垂直にして叩く(通常の使い方)ともっとめり込む」
「頭だけじゃなく胴部分も結構めり込む」
「尖ってる部分を叩いても頭が少しめり込む」

世界が「釘と金づちと私」になっていました。



どれくらい時間が経ったでしょう、突然強い力で肩を揺すられました。
我に返った私の目には、怒りなのか恐怖なのかよく分からない顔をした担任の姿が映りました。

担任に見つかる前に上手く釘打ちを止めた同級生は無事でしたが、私含め3名が各々の必死の言い訳むなしく職員室に引きずられていきました。
ちなみに、言い訳とは「〇〇にやれと言われた」と罪を擦り付け合うものでした。

ここから我々の無限懺悔は始まります。

まず、本事件の主犯は私になりました。
肩を揺すらないと気付かないくらい没頭していたからだそうです。

会議室に軟禁状態で反省文を書かされ、担任に召集された保護者の前でそれを読まされました。
あの時の母親の顔は忘れることができません。

さらに、事態を重く見た教員陣は3名に2日間の自宅謹慎を命じました。
勿論2日後までに反省文を5セット書くという宿題付きです。

謹慎が解けたときには文化祭は終わっていましたが、我々には文化祭で散らかった講堂の掃除が命じられました。
また、思ったより掃除が早く終わったからと、自教室の掃除・ニスがけもしました。

最後に反省文を1枚書かされ、ようやく通常の学園生活に戻ることができましたが、
私に「謹慎」や「釘」というあだ名がついたのは言うまでもありません。


皆さんも床に釘は打たないように気を付けてください。